気まぐれ日記 06年12月

06年11月ここ

12月1日(金)「サポーターへの恩返しはできるか・・・の風さん
 朝から必死に仕事を続けたが、退社時間はいつもより遅くなってしまった。会社の仕事というのは、チームワークが原則なので、自分だけが先にゴールするなんてことは許されないのだ。
 工場から外へ出る寸前に自宅へ電話してみたら、予定通り出版社から注文した『ラランデの星』が届いていることが分かったので、帰りにコンビニに寄って、着払いの宅配の送り状をもらうことに決めた。
 家路を急いだが、フロントウィンドウの汚れがどうにも気になった。ボディもかなり汚れている。帰宅を急ぐ気持ちをなだめながら、ハンドルを左に切った。ガソリンスタンドで自動洗車するためである。
 夕食後すぐに、届いた本にサインをし、一昨日印刷しておいたオリジナルの登場人物一覧と栞をはさんだ。元の梱包状態に戻し、送り状に宛名を書いた。宛先は、会社の仕事で関係のある某社で、そこの重役さんが、わざわざ拙著を買って社内の関係者に配ってくれるのである。ありがたいことだ。なんとか文壇からも高い評価をいただいて、拙著を応援した甲斐があったと喜んでもらいたい。

12月2日(土)「あれこれ忙しい風さんの巻」
 昨夜の宅配は、今日午前中に発送した。来週の月曜日の午後に届く予定だ。続けて、地元の図書館へ行き、相互貸借の依頼をしていた本が届いていたので借りてきた。ついでに、その図書館に収蔵されていない本を11冊ほど寄贈してきた。
 拙宅の裏の土地を購入したことは以前書いた。
 そこを当面ワイフのトール教室の生徒のための駐車場にしようと、今日昼過ぎ、地元の土建屋さんに打ち合わせに来てもらった。
 土地は約75坪あって広いのだが、かなり土が盛ってあるし、片側の道路が斜面になっている。そこで、あらかじめ簡単な図面を書いてみた。平坦な駐車場をしっかりこしらえると9台は置けるが、大変な工事になる。しかし、きわめて簡単な工事でも6台は置けそうだった。 「超簡単工事で見積もってください」
 現地で私の説明を聞いた土建屋の社長さんは、拍子抜けしたような表情だったが、
 「あとで見積もりを届けます」と言ってくれた。
 深夜の出来事だが、やっと吉村昭さんの『破獄』を読み終えた。こういった秀逸な小説に触れると、自分も書く意欲が湧いてくる。
 それと、今回は、意外と新しい作品だったので驚いた。こうしている間にも、次々と優れた作品が誕生し、自分の目にも触れないうちに、文学史に残っていくのだろう。書くことに膨大な時間を投入する作家の、悲しい現実だ。

12月3日(日)「とりあえず数独を理解・・・の風さん」
 この週末は和算関係の執筆に取り組んでいるのだが、どうも頭の中が整理できず、イマイチ集中できない。もしかすると私はマルチ人間ではなく、1点集中突破しかできないのかもしれない。
 ・・・そのような中、前から気になることをネットで調べてみた。数独(すうどく)である。
 名前は以前から聞いていた。魔方陣に似ているな、と思っていた。購読している新聞の日曜版に、碁や詰将棋と一緒に数独もついている。ルールの説明が理解できず、でたらめにやってみたが、できるはずもない。それで、今日初めて、ネットでルールを知った。縦横それぞれ9個。升目で区切られた9個に1から9の数を入れて、それぞれが重複しないようにするということだったのか。
 紙の上で書き込んでいくと、間違ったとき収拾がつかなくなるが、ネットではすぐにやり直せて、次第にコツがつかめるようになった。初級、中級程度なら何とかクリアできるぞ。
 数独というので、オセロゲームのように日本で作られたものかと思ったら、起源はややこしいようだ。いずれにせよ日本で数独として遊ばれていたものが、ニュージーランド人の目に触れて、それをコンピュータソフト化してイギリスの新聞に売り込んで、世界的なブームになったとのことである。
 ついでにルービックキューブのサイトもチェックしてみた。なーんだ、ちゃんとセオリーがあるんじゃん。納得!

12月4日(月)「今日から凧作り・・・の風さん」
 昨日は終日花粉症がひどくて散々な日曜日だった。それが今日も尾を引いている。当地方で今頃飛散している花粉なんてほとんどないのだけど。変だなあ。
 出社したら、製作所の2階の渡り廊下のところに野鳥がいた。すずめより大きな中型の鳥だ。胸のあたりが白い。迷い込んだ鳥に違いない。窓を逃がしてやらないと、餓死してしまう・・・と思って近付いたら、チチチと鳴いて逃げた。野生動物は人間が怖いのである。夏の頃はこれで多くのすずめが屋内で死んでいる。蜘蛛の糸の風さん(カンダタ)も、お手上げである。諦めた。
 やはり今日もずっと花粉症でおかしかった。今朝も薬を飲んできたのだが、薬が効くよりも副作用で喉の調子が悪い。絶不調である。
 定時後になって、メンタル面は依然として不調だったが、凧作りの打ち合わせに行った。
 製作所のある地区の凧揚げ大会が来年1月7日にあるので、地域貢献の一環で、私の職場でも大凧(たたみ2畳分かな)を作って揚げるのである。さまざまのバックグラウンドを持つ構成員が力を合わせて作ろうというもので、地域行事というより、私の職場のイベントである。3年前にも立派に揚がったので、今回も高々と揚げたい。

12月5日(火)「ARTBOX・・・の風さん」
 ミッシェルで名古屋へ直行した。今年で17回目を迎えた、竹中工務店名古屋支店設計部主催の作品展「ARTBOX」の審査である。10年前からほぼ毎年見学に行っているので、とても楽しみだ。
 熟知している名古屋観光ホテルの駐車場に停めた。会場はすぐ近く。外へ出たら日が照っている割に寒い。やはり12月だ。
 予定時刻よりもかなり早く着いたが、既に会場は準備できていた。エントランス付近の壁に、30cm四方の深緑色のビニールシートを思い思いの形にした作品がずらりと並んでいる。光を通さないと黒く艶があってセクシーである。
 ほぼ同時刻に着いた審査員の一人、愛知県立芸術大学教授と挨拶を交わした。
 審査用紙をもらって会場に入ると、ジャズ音楽がしっとりと流れてきて、ジャズだ大好きな私の感性はびんびんに張り詰めた。そのせいでもないだろうが、今年の60ほどの作品群はどれもこれも、実にじっくりと仕上げた力作ぞろいで見応えがあった。世の中いろいろと心配されているが、こういった芸術作品を眺めていると、まだまだ日本も捨てたもんじゃないとうれしく思う。
 4人の審査員がそれぞれ3つの作品を選ぶのであるが、今日の私は気に入った作品が多くて絞り込むのが困った。結局、今日の感性に響いた作品を選ぶしかなく、理屈抜きで「美」を感じさせる作品に投票した。
 審査後、設計部の若手二人の案内で、もう一人の審査員(パルコの方)と、ヒルトンホテルのラウンジで1時間ほどおしゃべりをした。
 小説家と話をするのはめったにないらしく、小説の書き方を質問されたので、『ラランデの星』を題材に説明したら、けっこう喜んでくれた。
 再びミッシェルに乗り込んで、止むを得ず職場へ直行した。自席には昼休み中にたどり着くことができた(昼食はコンビニのパン)。
 今日は、午後8時半まで仕事してしまったが、一つだけ胸の奥がほんわかするような出来事があった。昨日の朝、私が野鳥を逃がすのを諦めた1時間後に、私の職場の期間従業員2名(生産業務を担当している人たち)と書記さん(勤怠関係の仕事をしているZhang Ziyiに似ている可愛い子)が、見事な連携プレーで、その野鳥を捕まえて、窓を開けて逃がしたのだという。書記さんが教えてくれた。

12月7日(木)「血がなかなか止まらない・・・の風さん」
 普通よりも早めに起きて、総合病院へ直行した。まるで歯医者のように予約制になっているから、てきぱきと病院内を回ることになる。
 病院に着いて端末機に診察券を入れると、今日のスケジュール付きの外来受診票が印刷されて出てくる。
 それに従って、まず採血検査の場所へ。そこでも診察券を端末に入れると、順番カードが出てくる。やがて番号を呼ばれて、本人かどうか確認されてから採血場所へ。そこでも、本人かどうかの確認をし、さらに「以前にアルコールで異常が出たことありますか?」などと質問される。「全くそんなことはありません」と答えても、「冷っとしますよ」とか「チクッとしますよ」などと、いちいちうるさい。「注射針で血をとるんだから、タダですむとは思っていねえよ」と言いたかった。
 「2、3分間しっかり押さえていてください」
 「……」
 待合室のベンチに座って、ワイシャツの袖を下ろそうと思い、念のために脱脂綿の上から押さえたら、血がドバッとあふれた。脱脂綿が吸い込んでいたアルコールも染み出て、見ると腕の表面が赤くなっている。
 「な、なんだ〜?」
 アルコールに過敏に反応し、しかも血が止まらない。血小板が不足しているのか。体質が変わってしまったのか。
 カバンからポケットティッシュを取り出し、あふれた血やアルコールを拭いて、再び脱脂綿の上から押さえてみると、まだ血がにじんでくる。次のメニューが控えているのだが、なおもそこで血が止まるまで15分ぐらい座っていた。
 泌尿器科へ行き、検査を受ける順番を待つことになった。その場所は、「膀胱鏡室」の前だった。大学時代、尿管結石になってしまい、一度膀胱鏡を入れられたことがある。屈辱と苦痛の経験だった。まさか今回も……。不安が頭をよぎる。
 心配することなく、膀胱鏡なんぞは使わない検査はあっけなく終わった。
 前回と同じ妙齢の女医さんの診察となった。パソコン越しに冷たい視線で見つめられる。
 「PSAマーカー値は3.2で正常です」
 がんではなかった!
 しかし、投薬量は増加した。
 続いて、Z科へ移動し、今日最初の血液検査の結果を聞いた。
 「薬の影響は出ていないようです。このままの投薬を続けましょう」
 診察が終了したので、外来受診票を持って某窓口へ行くと、会計順番票を渡された。
 順番が来て会計を済ませると、薬局へ移動。そこでも順番が来て、薬をもらってやっとすべて終了である。
 ここまでが約2時間だから、見事なほど効率的なシステムである。このまま死んだら、決められた葬祭場まで運ばれそうである。

12月8日(金)「A新聞の取材を受ける・・・の風さん」
 実は、水曜日の夜にA新聞から電話で取材の申し込みがあり、今夜、名古屋駅付近で記者に会う約束をしていた。
 それで、定時少し前に退社して帰宅し、電車で名古屋へ出た。
 マリオットホテルのロビーで待ち合わせ、ラウンジに入った。
 記者は科学系の記事を専門に書かれている方で、数学の方面の話題もネットワークも強かった。名古屋へは生物関係のシンポジウムのパネラーとして来られたそうで、幸い私が愛知県在住だったので、ついでに取材することになったらしい。もっとも、私を取材対象として強く推薦してくださった方がおられたのが、最大の原因だが。
 とにかく今回は、和算小説の魅力について取材するのが目的だったようだが、私は安心して何でも話すことができた。
 かつて「和算小説のたのしみ」と題して寄稿した雑誌を持参したし、最新の和算小説一覧表もプリントしてきたので、最低限の情報は提供できた。あとは、記者の「なぜ和算を題材にするようになったのか」「和算の魅力とは何なのか」「数学者をどう思うか」といった質問に次々に答えていった。
 ほとんど講演ネタにしていることばかりなので、迷うことなく説明することができた。
 最後に顔写真も撮られたので、記事になるときは写真付きだろう。記事は和算に関するものがいくつか連載されるそうである。
 小説を読むのがとても好きとのことだったので、『ラランデの星』をぜひ読んでください、とお願いして別れた。

12月9日(土)「東京雨男・・・の風さん」
 週間天気予報が的中して、朝から雨である。朝刊の天気欄にも傘が並んでいる。
 ・・・そうである。今日は上京の日。久しぶりに東京雨男の面目躍如といった日である(笑)。
 最近はなぜか花粉症がひどくて、雨が降っているからといって安心はできない。その上、また仕事の効率が低下していて、夕べも就寝が遅かった。寝不足である。名古屋へ出る電車の中で、早くも不調を感じ出した。頭が重い。うつらうつらしてみたものの、快方に向かう気配なし。東京に着いてからこれではいけない、と名古屋駅の売店で缶入りの水割りとつまみを購入した。新幹線の車中で寝る作戦だ。
 ・・・新横浜に着いた頃目覚めた。寝不足は解消されたが、花粉症のような頭重感が残っている。不快である。
 東京駅のホームにある立ち食い蕎麦屋でたぬき蕎麦を食べた。昼食である。380円。ビンボー。
 雨がそぼ降る中、東京作戦行動開始。マフラーと手袋、防寒態勢はばっちりだ。八重洲北口から出て徒歩で呉服橋方面へ向かう。一石橋を渡ったところにあるのは、日本銀行金融研究所「貨幣博物館」。江戸時代はこの近くに金座があった。初めての見学。歴史小説家として恥ずかしいかも。入館料は無料。企画展「お金と福の神」を開催中だった。大黒が貨幣や紙幣のデザインとして随分使われていたことが分かった。常設展示のコーナーでは、江戸時代の貨幣に関する知識をざっと復習できた。
 見学を終えて東京駅まで歩きながら、今夜の咸臨丸子孫の会の忘年会の会場となっている「グリルシャトー」の位置を確認した。
 JRを乗り継いで、両国駅で降りた。目指すは「江戸東京博物館」。3度目の見学である。これまでの2回が短時間だったので、今日は常設展示コーナーを時間をかけてじっくり観る予定。幸いスケジュールよりも30分早く行動できている。
 特別展「江戸の誘惑」(ボストン美術館所蔵の浮世絵展)を横目で睨みながら常設展の入場券を購入し、無料のコインロッカーへ荷物を預け、入り口のある6階へ向かった。
 いきなり天井の高いしかも吹き抜けになっている5−6階の復元日本橋に出た。全長の半分が復元されているのだが、かなり大きな橋だったことが分かる。浮世絵などを見ると、人間が大きくしかも橋の湾曲が誇張されているので、せいぜい50m程度の長さではないかと思ってしまうが、復元した日本橋の前に立つと、全長100m程度あったことが実感できる。現代のアスリートが9秒で駆け抜ける長さだが、100mは長いよ、やっぱり。東海道の起点にふさわしい名所だった。
 橋を渡って大名屋敷や町人の町の復元模型を見学した。ボランティアのガイドが次々にやってきて、大きな声で解説してくれるので、よく分かった。備え付けの双眼鏡で人間のフィギュアを詳細に観察するとなかなか臨場感があって面白い。浮世絵や名所図会といった当時の絵に描かれた人物たちもなかなか生き生きと描かれているが、それらに負けない豊かな表情のフィギュアである。模型などは写真撮影可なので、今度来るときは、デジカメと双眼鏡を持って来よう。
 途中でコーヒータイムもとって2時間45分もかけて見学したが、常設展すら全部を見学することができなかった。最後は駆け足で、明治時代のコーナーまでたどりつけなかった。
 館外へ出ると、すっかり暗くなっていて、雨が強くなっていた。冷え込んでいる。
 JRを乗り継いで東京駅へ戻り、咸臨丸子孫の会の忘年会会場「グリルシャトー」へ向かった。
 今夜の目玉は二つあって、千鶴伽さんというシンガーソングライターが参加して、ライブ演奏をしてくれることと、咸臨丸終焉の地である北海道木古内町からも参加者があったことである。
 千鶴伽さんは、なかなかメッセージ性の高い曲を自作自演されるパワーのある歌い手さんだ。埋もれた歴史や人目に触れにくい地方を独自の感性で歌に昇華させる力を持っている。オリジナリティがある。似た歌手を私は知らない。アカペラで歌ってくれた「咸臨丸の歌」に、私はひどく胸を揺さぶられた。この人を応援したい、と思い、CDを買わせていただいた・・・ら、彼女も私の本をその場で購入してくれたので、これは申し訳なかったと思った。
 千鶴伽さんのステージが終わったら、私の帰る時刻になってしまった。東京泊なら、これから千鶴伽さんとゆっくり話ができたのに残念である。
 雨は小降りになっていた。東京駅までほとんど走って新幹線に飛び乗った。
 帰りは眠りこけることなく、最近復刊されて売れている岡潔さんの『春宵十話』を読んだ。1963年頃に出版された本らしいが、その時代の若者や教育について憂えていることや、日本の伝統の良さを主張し、情緒の大切さを訴えている点など、藤原正彦先生の『国家の品格』の原点のような印象をもった。ただ女性観については、時代背景もあるだろうが、少々偏見を感じた。
 名古屋の雨は上がっていた。
 帰宅して、腰から万歩計を外してチェックしてみたら、15876歩だった。トレーニングに行けないので、今日は歩くぞ、と思っていたので満足である。

12月10日(日)「人生の旅立ち・・・の風さん」
 今日は大安吉日である。
 調理師専門学校を卒業して、来春から社会人になる長女の引越しを手伝った。勤務先は恐らく名古屋マリオットホテルになるのだが(高山とか豊橋の可能性もあるが)、そうなると自宅から通えない。入学以来、同ホテルでバイトはやれているが、正社員となると、朝は早いし夜は遅い、おまけに時差勤務もあるので、とても自宅からの通勤は無理になるのだ。残念ながら独身寮も整備されていないので、一人暮らし専用のマンションを借りることになった。新築であり、3月まで待っていると入居できなくなる心配があったので、さっさと賃貸契約してしまった。
 今日は、長女のために購入した少々の家具や電化製品も運び込まれるので、ワイフと3人でマンションへ行って、到着を待った。もちろん自宅から運べるだけの物はクルマに積み込んだ。
 私は今日も朝から花粉症で、体調が悪く、抗ヒスタミン剤を服用していた。
 部屋にカーテンを吊り終わった頃、家具類も運び込まれ、私の体調もだいぶよくなってきた。持参したデジカメで引越しの様子を撮影した。今日は雨こそ降っていなかったが、風が冷たく寒い。
 だいたいの作業が終わったところで、ようやく昼食を摂りに外出した。既に3時近い。すっかり体が冷えていたので、激辛の坦坦麺を食べた。喉が焼けるように辛かった。女で調理師の卵だから料理はお手の物だろうが、一人暮らしとなると、一人で食べる食事が何とも侘しい。独身時代、会社の勤務がある日は、ほとんどエネルギー補給の時間でしかなかった。週末はデートでもなければ、とても一人で外食などする気にもならなかった。そういった傾向は今でも続いていて、プライベートで行動しているときは、一人の時は超ビンボーな食事で簡単に済ませてしまう。付き合ってくれる人がいれば、こちらが奢るのは平気というか感謝以外の何ものでもない。
 再びマンションに戻り、掃除して今日のスケジュールは終了。しかし、長女の人生は、これから先が気の遠くなるほど長い。

12月11日(月)「命のバトンタッチ・・・の風さん」
 作家の川越文子さんから詩集『うつくしい部屋』(思潮社刊)が届いたので読んだ。
 どれもこれも感動的な作品だった。感性に響くのである。
 導入部分では、お孫さんの姿を簡潔で的確な表現で描写している。「風邪ぎみの鼻をスンとすすりながら」とか、赤ん坊が寝たまま短くてむっちりした足を突き上げている様子を「ぴんこら ぴんこら」といった表現で描写していて面白い。そうして、自らの生い立ちを思い返しながら、命のバトンタッチを実感しているところが、なんとも小説家らしい視点で共感できる。私自身も今の年齢になってあらためてご先祖さまから延々と続く命のバトンタッチを実感しているからだろう。
 作家は主に死を見つめながら人生をとらえていく。生あるものはいつか必ず死ぬからだ。そうすることで、生を真正面から書くことができる。生きることの意義を世に問うことができるのだ。
 そもそも命のバトンタッチという言葉は、『納棺夫日記』で有名な青木新門さんが使い出した表現ではないかと私は思う。それを今では、知人の鈴木中人さんが「いのちをバトンタッチする会」を作って活動している。他でもたくさんの人たちが使っているすばらしい言葉だ。
 12月に入って、喪中ハガキが毎日のように届く。昨年は私自身が父の死によって喪中ハガキをあちこちへ出した。生まれてから長いこと経験せずに済んできたきわめて身近な肉親の死である。残りの人生は、生き続けている限り、こういった身近な人を送るという儀式を続けていくことになる。死を受け入れて初めてわかる生である。
 
12月13日(水)「がんばれ、クワタン・・・の風さん」
 今年残っている会社の仕事の山の一つを越えた。あとは年末最終日に一つだ。小説家としての今年は、年末に一度総括してみるが、まずまずと言っていい成果を上げたと思う。あとは、来年へ向けてどれだけ布石が打てるか、である。
 昨夜、就寝前の習慣になっているコクワガタのクワタンへの水やりを霧吹きでしようとしたら、虫かごの中に姿が見えなかった。急に胸騒ぎがして、クヌギの登り木を持ち上げてみると、みっともない姿でひっくり返っていた。こういう場合、登り木の裏に両手両足で(では6本の足を表現できないか)へばりついているものだ。動いていないように見えたので、指で腹をくすぐってやったら、少し動いた。
(あれれっ? 弱っているのだろうか)
 今年の6月26日に洗濯物の中に潜んでいるのをワイフが発見して以来、家族の一員になっていた。3年の寿命はあるはずなので、飼育が楽しみだと思っていたのだ。とりあえず、そっとしておいて、昨夜は寝た。
 今日、夕食後、恐る恐る虫かごを覗いてみると、クワタンの姿がない!
(まさか??)
 登り木を持ち上げてみると、しっかり裏にへばりついてきた。
 うれしくて、昆虫ゼリーを交換してやった。

12月14日(木)「TOEICで890点?・・・の風さん」
 明日から東京だと思っていたら、雨・・・である。超憂鬱〜。
 契約しているプロバイダーからのお知らせメールで、DIONラボというのが紹介されていた。登録すると、「お手軽英語力診断」というのができる。TOEICのレベルが分かる、とあったので、恐る恐る登録して、早速挑戦してみた。すべて4択問題である。こういうのは得意。
 20問あるのだが、正解が13問続いたので、だんだん難しくなって、とうとう14問目で不正解! しかし、20問中18問に正解を出した。
 診断結果は、「およそ890点。4000人中257位」だった。これなら苦手のヒアリングさえ克服すれば、そこそこの成績を上げられるかもしれない。
 とたんに空が晴れ上がった気分だ。

12月15日(金)「突然の東京出張で雨男の汚名も返上?・・・の風さん」
 会社の仕事はけっこう波乱に富んでいる。地道にこつこつと積み上げていく仕事と同時に、めまぐるしく変化していく内容もあるのだ。
 その変化の激しい(つまりビジネススピードの速い)内容で、急遽東京出張が決まった。
 最初は同僚二人だけで行ってもらうつもりだったが、最後に私も行くことにした。天気予報が雨らしいのが、非常に気になったが(東京雨男)。
 その気になった気圧の谷も、大陸の高気圧に押されてぐんぐん東南海上へ去って行ったから、名古屋地方は朝から、東京地方は昼から青空が広がった。
 なかなか難しいビジネス交渉だったが、技術屋らしく率直に説明したことがよかったようで、相手の理解が得られ、こちらの提案内容に対する検討が進み出した。
 せっかく上京したので一泊し、明日はやり残した仕事の一部をやってから帰ることにした。

12月16日(土)「美術鑑賞のあとは・・・の風さん」
 最近早寝早起きの習慣が身についていて、昨夜は午前零時に就寝、今朝は午前7時前に起きた。
 ホテルは無線LANが整備されているので、モバイルパソコンのアシュレイを持参した。ところが、設定がうまくいかず、インターネットとメール受信はできたが、送信ができなかった。以前にも自宅で似たトラブルがあったが、どうやって切り抜けたのか思い出せない。朝刊の配達サービスもなく、珍しくテレビをつけてみた。どうでもいい番組しかやっておらず、情報が入らない。しかし、窓から見える空は晴れているから、天気は良さそうだ。アシュレイはさっさとしまって、ケータイでメールチェックしてみると、迷惑メールがほとんど来ていない。不思議な週末の始まりかも。
 午前中は、上野公園にある国立西洋美術館に出かけた。このあたりは初めてだ。上京の機会が多い風さんでも、知らない東京がごまんと残っているのだ。おなじみの画家たちの絵が年代順に並んでいて、とても分かりやすい。絵の鑑賞は基本的に感性でおこなう。直感と言ってもよい。一番気に入った絵は、マリー・ガブリエル・カペの「自画像」である。1783年ごろの作品とかで、技巧に富んだ作品と若く美しい作者(自画像なので)のイメージが重ならず、それがまた不思議な感動を覚えた。
 黄色くなった銀杏の木々に囲まれた美術館は風情がある。漆黒のロダンの彫刻群もよく映える。ほとんど来館者がいない中での、ゆったりとした鑑賞の時間は、何よりもぜいたくな過ごし方かもしれない。
 午後、品川のギャラリーオキュルスに寄って、拙著の委託販売の清算をしてきた。およそ2万円の売り上げである。ありがたい。
 3時半の新幹線で東京を離れたが、まっすぐ自宅へは帰らなかった。
 職場の忘年会があったのである。およそ60人もの参加があって、ディスコバーを貸し切りにし、賑やかで楽しい飲み会だった。社外から来ている現場の人たちのエネルギーとしたたかな生き方に感動した夜だった。
 深酒したわけでもないので、すっかり酔っ払ってしまい、帰宅したらそのままぶっ倒れてしまった。

12月17日(日)「事実は小説よりも奇なり・・・の風さん」
 亡くなった父が母とめぐりあったきっかけは、母の兄と軍隊が一緒だったからである。その母の兄つまり伯父さんは91歳で健在だ。
 『ラランデの星』を送ったことから、伯父さんから手紙が届いていた。
 ワープロで3枚にも及ぶ長文の手紙には、私の知らない父の軍隊時代のことが書かれてあった。そして、その中に、驚くべき事実も。
 堅物の父に初めて父の青春を感じたのは、父が死んで3ヵ月後に駒場キャンパスを散策したときだった。ただそのときは、現代の学生たちの姿を眺めて、父にもきっと普通の青春時代があったに違いないと思っただけだった。
 ところが、伯父の手紙には、父が満州で料理屋の女中と何らかの交渉があり、それが発覚したために、将校としての品格を問われて内地に戻されたと書いてあった。
 作家としては、真実を知るかあるいは想像力を駆使して物語を作り上げたいところだが、それよりも前に、先ず、生身の父を発見したことで、まるで『ラランデの星』の作助と同様に、死んだ父がいっそう身近に感じられた。「事実は小説よりも奇なり」と言うが、まさにその通りである。そして、なお驚くことは、その事実も小説も私が体験したり作り上げたものだからだ。
 やっと日本数学協会の機関誌「数学文化」が届いた。今年8月の駒場での講演「『ラランデの星』にこめた想い」の内容が掲載されているのだ。さっそく、伯父への郵送の準備をした。高齢のために伯父はまだ『ラランデの星』を読み終えていないというが、この「数学文化」が届いたら、ぜひ興味を持って残りを読んでほしいものだ。

12月18日(月)「迷惑メールが1時間に8.9通・・・の風さん」
 やけに迷惑メールが減ったなと思って、昨日、木曜から日曜日にかけて不在だった間に、どれだけの迷惑メールがブロックされたか数えてみた。調査時間帯は、14日の午後8時半から17日の朝11時まで。2日と14時間半つまり62.5時間である。
 その間にプロバイダのサーバーでブロックされたのが477通。執筆マシンにインストールしてあるスパムメールキラーでブロックしたのが82通。合計559通だった(今回はセキュリティソフトやメーラーの削除機能で除外されたものはなかった)。
 手元に届いた有効メールは10通もないので、ひどいもんだ。
 迷惑メールはおよそ1時間に8.9通届いていたことになる。ブロックしてなかったら・・・、と思うと鳥肌が立つ。世の中には、こういう目に遭って、メールアドレスを変更したり、電子メールを断念したり、パソコンを捨てたりしている人が多いのではないだろうか。

12月19日(火)「今年最後の原稿依頼か?・・・の風さん」
 日曜日にフリーメールの受信ボックスをチェックしていたら、迷惑メールに紛れて、原稿依頼メールが届いていた。
 ホームページで公開しているフリーメールアドレスに原稿依頼メールが届いたのは、これが初めてではない。昨今は、電話より、こういったケースの方が増えているのではないか。しかし、迷惑メールが多いと、うっかり削除しかねない。危険ではある。
 ・・・と思っていたら、この原稿依頼が郵便ででも届いた。会社にである。
 拙著の著者プロフィールには、勤務先がしっかり書いてあるので(本名を付記したこともある)、会社の住所を調べて郵便を送ってくることは無理ではない。しかし、さすがに部署名までは分からないから、本社を宛先にするしかないだろう。
 勤務先は、連結で社員が10万人いる。日本国内で4万人弱だ。本社地区だけでも、1万人から勤務している。そして、私は、現在は本社内には席がない。車で40分くらい離れた製作所にいる。それにもかかわらず、その郵便は、本社から製作所へ回送されて届いた。
 「健康」というなかなか手の込んだ雑誌の原稿依頼だった。

12月20日(水)「めちゃくちゃな生活・・・の風さん」
 仕事で消耗して帰宅したら、工事依頼してあった隣地の駐車場が出来ていた。昨夜、重機が入っているのを確認していたから、バッチリできているに違いない・・・と思って、深夜なので、ミッシェルのライトを点灯したまま、クルマから降りて現地確認・・・およよ、確かに荒地にキャタピラーの跡、しかし、ちょっとこのままでは駐車場としては使えない。地肌が剥き出しで、敷地に乗り入れたクルマが道路に出たら、明らかに道路にタイヤの跡がつきそうだ。何とかせねば。
 ところが、脇へ回ってビックリ。ワイフがタダで頼んだ階段が、意外としっかり出来ていた。これなら使える。
 ガソリンスタンドで購入してきた灯油2缶を玄関まで運んで、急いでパジャマに着替え(?)、遅い夕食を摂って、風呂に入って・・・いったいどういう順番で生活しているのだろう?・・・ロックを傾けながら少し読書して(今夜は酔えない)・・・寝た。

12月21日(木)「今年最後の長距離出張か・・・の風さん」
 仕事で福井県まで出張した。新幹線はいいのだが、北陸本線の特急「しらさぎ」は揺れて、体の弱い私はすぐ気持ちが悪くなる。武生(たけふ)という駅で初めて降りた・・・が、同僚が降りてこない。風邪薬を飲んで寝込んでしまった彼は、武生に着いたことに気がつかなかったらしい。一人で喫煙車両に乗るからこういうことになる。ケータイへ電話してみたが、全く応答がない。熟睡しているに違いない。何度か呼び出しているうちに、やがて応答してくれたが、それでも返事がない。スピーカーから聞こえてきたのは、電車内らしい騒音と「鯖江(さばえ)〜、鯖江(さばえ)〜」という車掌のアナウンスだった。次の駅に着くところだった。
 同僚は一駅向こうまで行って、タクシーで戻ってきた。

12月22日(金)「書評の鉄人・・・の風さん」
 会社の仕事は日々激しく状況が変わる。その都度、同僚と作戦を練って対応していくのだが、先行きが明るくなったり暗くなったり、神経の休まるヒマがない。同僚を信じて、私は鷹揚な態度で平然としているのがベストだとは思うのだが・・・。今日も、二つの重大なテーマが暗礁に乗りかけた。
 8月に出版した『ラランデの星』の書評を真っ先に取り上げてくれた、インターネット上の書評家「ろこのすけ」さんが、ビーケーワンの書評の鉄人列伝に取り上げられた。本を読んで、その感想を書いて、ブログで公開したり、ネット書評として投稿したりするだけでも、大変なエネルギーやパワーを必要とするものだが、そのレベルが高くて、鉄人とまで評価されることは、すごいことである。
 その「ろこのすけ」さんから拙作が二つも取り上げられていることを光栄に思う。

12月23日(土)「人生の動機付け・・・の風さん」
 千鶴伽さんからDVDやCDが届いた。DVDには老人施設でコンサートをしている映像が入っていて、彼女の活動の実態を知ることができた。また、同封されていた彼女のエッセイから、その活動の原点が、彼女のお母さんの交通事故被害と奇跡的な復活、その数年後のガンでの急逝といった大きな出来事にあることも理解できた。
 私が小説を書くときも、ただ面白い話を書こうとしているわけではなく、動機付けというか、何を書くかという問いかけが常に身内で繰り返されている。それが定まらない限り、貴重な人生の中のさらに限られた時間を、執筆に投入できるわけがない。
 千鶴伽さんのエネルギッシュな活動も、それが身内にみなぎる強烈な動機から始まっているのだ。
 話は変わるが、長男は高3で美大を目指している(目指させているというが正確かもしれないが)。常日頃はほとんど干渉しない私だが、夕食の時、二人きりになったので尋ねてみた。
「塾は同じ志望校の者ばかりか? 浪人もいるのか?」
「合格者の半分は浪人だよ」
 学力はほとんど関係なく、実技というか芸術面の力が合否を左右するとワイフから聞いている。
 まだ、自分の将来に対する強烈な動機付けができていない長男にとって、美大受験というのはかなりの試練だろう。その苦しさにいつも負けているらしく、部屋では寝てばかりだし、たまに起きていて音が聞こえるときも電子音(ゲームをやっている証拠)ばかりだ。

12月24日(日)「クリスマスは延期・・・の風さん」
 年末ギリギリに楠木誠一郎さんの新作が届いた。おなじみのタイムスリップ探偵団シリーズで『坂本龍馬は名探偵』(講談社青い鳥文庫 620円税別)である。もう9作目になるだろうか。あらゆる時代にタイムスリップして、その時代の有名人と出会いながら事件を解決していく。知らないうちに日本史の勉強にもなってしまうという欲張り小説だ。我が家では次女がファンで、すぐにこの本は奪われてしまうだろう。
 その次女も、高校の美術科に今年進学しながら、まだ美術の塾に通っている。高3の長男と同じ塾(有名な予備校)である。今夜はクリスマスだが、そんなことは関係なく帰宅は遅い。
 ホテルのレストランでバイトをしている長女は、今日も残業で(そりゃそうだろう、クリスマスで稼ぎ時だから)、うちには帰らず名古屋のマンションに泊まるという連絡があった。
 そういうことなら、と我が家のクリスマスは、明晩に延期が決定した。サンタと事前に相談する必要もないくらい、子供らは大きくなった。

12月25日(月)「1日遅れのクリスマスは?・・・の風さん」
 昨日の日記の末尾に、「子供らは大きくなった」と感慨深く記述したが、一夜明けて・・・。
 先日取材を受けた朝日新聞の、今日の夕刊に記事が掲載されたというメールが入った。1日遅れのクリスマスだから一刻も早く帰らねば、と焦ったものの、新聞記事が気になって、コンビニに寄ってみたが、朝日新聞の夕刊は置いていないとのこと。残念。
 帰宅は少し遅かった。それでも自分が最後のはずはないと安心していた。そしたら、帰宅してみると長女がいない!
「まさか今夜もバイト・・・?」
「友達をマンションに呼んでパーティするんだって!」
「にゃにぃー?」
「大勢呼んで、布団がないから、今夜は寝ないんだって!」
 ワイフと長男と3人でとりあえず夕食。
 10時過ぎに次女がようやく帰宅した。今年高校の美術科に入学したが、塾の冬期集中コースへ行っているのだ。
「遅かったね」
「・・・」
 見ると、次女の左手の薬指に指輪が!
 Oh my God!
 

12月26日(火)「またまた楠木誠一郎さん・・・の風さん」
 早朝から本社へ出張し、昼前に製作所へ戻ったが、午後の会議は延々と続いて・・・。
 昨日の朝日新聞の夕刊に記事が出ていたよ、というメールが友人や知人から届くのだが、皆関東地区に住んでいる人ばかり。実は、全国版の記事なのか、地方版なのか知らないのである。
 疲れ果てて10時近くに帰宅。いきなりパジャマに着替え、いつでも寝られる態勢。
 よよ! またまた楠木誠一郎さんから新作が届いていた。これもおなじみの少年少女探偵団シリーズで『動機なき殺人者たち』(ジャイブ 790円税別)である。今年は連載で多忙らしくなかなか新作が出ないと思っていたが、年末できっちり決めてくるあたり、さすがプロである。このシリーズが挿画が豊富で、本離れの傾向のある子供たちもなじみやすいと思う。
 とにかく、私は明日も朝が早いのだ。
 いい加減にシャワーを浴びてベッドへ飛び込み、読みかけの吉村昭さんの『間宮林蔵』を3ページ読んで目をつぶったら、そのまま永眠に近い状態になった。

12月27日(水)「ニッポン人脈記だった!・・・の風さん」
 5時45分に起床したが、既に次女は出かけていない。長男が、朝風呂に入っていた。
 6時半に自宅を出て、今朝も本社へ直行した。
 毎日緊迫した中での仕事が続いているせいで、イマイチ元気が出ない。疲れているのだろう。たまっている家での仕事も気になっているのだ。しかし、今日はうれしいことが一つあった。例の朝日新聞の夕刊の記事が全国版であることが判明したのだ。
「おめでとうございます。すごく大きな取り上げ方でしたよ」
 新聞を読んだ会社の同僚が声をかけてくれた。彼は当地に住んでいるので、読んでいるのは間違いなく地方版である。
「関東地区だけの記事かと思っていたんだよ」
「あれは全国版のはずですよ。大物がずらりと登場していますから」
 私が登場したのは、「ニッポン人脈記」という有名な記事で、<数学するヒトビト>というシリーズらしい。ネットでチェックしたら、確かにあったし、過去の記事は『ニッポン人脈記』という文庫も出ていた。とんでもないというか、場違いというか、恐れ多いところに出てしまったものだ。・・・しかし、内心うれしい(笑)。
 結局、製作所へ戻れないまま、本社から退社。仕事も同僚も残してきたので、申し訳ない。
 急いで帰ろうと有料道路へ入ったら、ETCのゲートが故障中! 何やってんだ! それにしてもミッシェルはよく走るぜ。
 長女は今日から友達と伊豆へ旅行しているとのこと。ちぇ、みんなマイペースだなあ。

12月28日(木)「年末の喜劇・・・の風さん」
 年末の大きな会議へ向けてストレスがたまりつつある。帰宅が遅いせいもあるが、執筆はほとんどできない。昨夜、やっと年賀状の印刷が終わったほどである。そして、なるべく早く就寝するために、リキュールのお湯割を飲みながら、PSPで数独をやってベッドに飛び込んだ。バタンキューである。
 今朝も本社へ直行した。昼まで某社との技術交渉をして、午後、製作所へ戻った。一昨日以来の仕事がたまっていて、目の回る忙しさだった。そして、夕方から明日の大きな会議のための資料作成に入った。ここまで自分の分も同僚(部下)に任せてきたが、さすがに前日の今日は自ら手を出した。
 10時近くにヘロヘロ状態で帰宅すると、ワイフが予想通りの発言。
「やっぱり自分で作れないから、年賀状作るの、手伝って!」
「それ見ろ。だから、早く着手しろって言ったじゃないか」
「そんなこと言わないでよ。さあ、ワイン飲みながらやりましょう」
「バカ言え・・・」
 仕方なく、書斎で作業をすることにした。準備が整ったころ、ワイフが本当にワインを運んできた。
 ワイフの年賀状の印刷が終わったのが午前2時だった。
 それから、シャワーを浴びて、ようやく寝られると思ったが、ワイフはまだ私の書斎を占拠していた。私の机を使ってコメント書きをしているのである。
(明日は寝坊してゆっくり出社しようっと。でないと、カラダがもたない)

12月29日(金)「初雪が吹雪(ふぶき)・・・の風さん」
 予定通り、8時に起床した(普通は会社に間に合わない時刻である)。寝坊したのだが、まだ睡眠不足なので眠い。
 ・・・その眠気が、カーテンを開いて外を見て吹っ飛んだ! 
 外は真っ白。雪が積もっている・・・だけでなく、吹雪なのである。これが初雪か〜?
 昨年、ミッシェルが積雪にきわめて弱いことを実感した。だから、この冬は、雪が降ったら電車で出社しようと決めていた。
 早速、雪のために出社が遅れることを連絡し(もちろん嘘。もともと寝坊したのだ)、かと言って焦って出社するほど時間がないわけではなかったので、しばらく様子を見ることにした。クルマで25kmほど北にある製作所付近は、全く雪が降っていないと言う。証拠を示す意味で、デジカメで外の様子を撮影し、職場の仲間へメール送信した。
 その後の電話で、同僚から、
「そこ、本当に日本ですか?」
「シベリアが近いと思う」
 結局、いつまで待っても吹雪は弱まりそうもなかったので、電車とタクシーを使って出社した。
 大きな会議のある本社へは、同僚のクルマに便乗させてもらった。
 今年最後の大仕事である大きな会議は、予想以上に大成功だった。しっかり準備してきたせいだろう。同僚や部下に感謝である。
「それじゃあ、よいお年を!」
 年末らしい挨拶を交わして退社した。
 電車を使って帰宅したのは、それから2時間後である。

12月30日(土)「秋田高校・・・の風さん」
 やっと冬休みに入った。
 高1の次女はラグビー部のマネージャーをやっている。自分の学校は敗退したが、全国高校ラグビー大会が開かれている、東大阪市の花園ラグビー場に観戦に行ってきた。高校野球でいえば、甲子園に当たる。愛知県代表を応援したが、負けたそうだ。
 ところが、ところがである。我が母校、秋田高校は勝った! 2回戦の相手は山口代表の萩工業。19対12だったというから、接戦・激戦だったのだろう。
「お父さんの高校って、すごいのね」
 こうして娘は、父親の青春時代に思いを馳せ、共感できるようになる。
 その秋田高校の柴田校長先生から手紙が届いた。写真を用いてアートを表現される先生の、今回の作品は「光の舞台へ」。鳥海山中腹の渓流や某所にある花壇をモチーフにしている。生徒たちへの暖かな視線を感じる作品だ。

12月31日(日)「2006年を総括・・・の風さん」
 PSPを使って数独に挑んでいる。とりあえずは、易しい問題で、スピードを磨こうと思った。ところが、これがなかなか手ごわい。時間をかければできることばかりなのだが、ソフトに規定してある制限時間内にクリアするのが難しいのだ。この事実から類推して分かることは、会社の仕事にしても作家としての執筆にしても、間違いなくスピードが低下しているだろう、ということだ。年齢的な問題つまり老化である。若い頃のスピードを取り戻すことは困難でも、この事実を素直に受け止めた上で、対処方法を考えなければならない。
 そうは言っても、今日は大晦日。作家としての今年の総括をして、来年へつなげていこうと思う。
 以下、今年の成果を列記する。

【受賞】
 2006年日本数学会出版賞を受賞。
【小説】
 長編『ラランデの星』(新人物往来社)出版。
 短編「天連関理府(テレガラフ)」(「大衆文芸」新年号)掲載。
 『円周率を計算した男』増刷(第7刷)。
 新鷹会アンソロジー『武士道春秋』(光文社文庫)に短編「風狂算法」収録。
【エッセイ・読み物など】
 心に残る一冊『和算の歴史』(岩波書店「科学」06年7月号)
 「私の魔物はパソコン、性別は♀(?)」(日本推理作家協会会報06年7月号)
 「出版賞受賞のことば」(日本数学会「数学通信」第11巻第2号 2006年8月)
 「惑星の運動理論を追求した江戸時代の天文学者高橋至時」(「大衆文芸」06年9月号)
 「人生の舵取り」(『大法輪』第73巻平成18年11月号)
 「『ラランデの星』にこめた想い」(「数学文化」002(日本数学協会)2006年12月)
 「ファンレター」(「大衆文芸」06年11・12月 村上元三追悼号)
【講演・トークなど】
 「西三数学サークル 春の公開講座」(3月4日)
 NHK文化センター名古屋「数式に潜む美しい真理」(6月24日)
 「夢はかなう −帰ってきた落ちこぼれ−」@秋田高校(7月28日)
 愛知淑徳大学で主題講義(8月8日)
 日本数学協会 第4回年次大会(8月19日)
 第37回広島県私学教育研修会の数学分科会(8月21日)
 「Net Rush」エグゼブティブ名鑑(9月19日)
   注)他に作家として勤務先で講演が2回。また会社員としての講演が2回。
【その他の特記事項】
 
中日新聞 日本数学会出版賞受賞記事(4月4日)
 秋田魁新報の「北斗星」に登場(8月5日)
 竹中工務店 ARTBOX NAGOYA 17th 2006「深×深」の審査(12月5日)
 朝日新聞夕刊「ニッポン人脈記」の数学するヒトビトJに登場(12月25日)
   注)書評やインタビューに基づかない鳴海風に関する記事は省略。

 2007年は、これを上回る成果が出せるように努力しますので、皆さん、応援してくださいm(_ _)m。

07年1月はここ

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